東京地方裁判所 平成5年(ワ)18866号 判決 1995年1月26日
原告
河井陽子
ほか二名
被告
永井勉
ほか一名
主文
一 被告永井勉は、原告河井陽子に対し二〇三〇万一二三六円、同麻祐子及び同志帆について各一〇一五万〇六一八円並びにこれらに対する平成五年一〇月一七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告興亜火災海上保険株式会社は、原告らの被告永井勉に対する判決が確定したときは、原告河井陽子に対し二〇三〇万一二三六円、同河井麻祐子及び同河井志帆に対し各一〇一五万〇六一八円並びにこれらに対する右判決確定日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、これを四分し、その三を原告らの、その余を被告らの各負担とする。
五 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告永井勉(以下「被告永井」という。)は、原告河井陽子(以下「原告陽子」という。)に対し七八五〇万八四〇〇円、同河井麻祐子(以下「原告麻祐子」という。)及び同河井志帆(以下「原告志帆」という。)に対し各三九二五万四二〇〇円並びにこれらに対する平成五年一〇月一七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告興亜火災海上保険株式会社(以下「被告会社」という。)は、原告らの被告永井に対する判決が確定したときは、原告陽子に対し七八五〇万八四〇〇円、同麻祐子及び同志帆に対し各三九二五万四二〇〇円並びにこれらに対する右判決確定の日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、夜間、被告永井勉(以下「被告永井」という。)が同被告の運転する普通乗用自動車(袖ヶ浦五五み一九三六、以下「永井車」という。)を高速道路の走行車線上に停止させていたところ、普通乗用車(練馬三三の八七〇一、以下「雅樹車」という。)を運転して現場に差しかかつた原告らの被相続人である河井雅樹(以下「雅樹」という。)が、永井車を発見し、これを避けようとして、路肩部分に停止していた大型貨物自動車に雅樹車を衝突させて死亡した事故(以下「本件事故」という。)に関し、原告らが、被告永井に対し自賠法三条及び民法七〇九条に基づいて損害賠償、被告会社に対し自家用自動車保険の保険約款に基づいて対人賠償責任保険の保険金を、それぞれ請求した事案である。
一 争いのない事実等
1 本件事故の発生
雅樹は、平成二年一〇月一〇日午前三時四五分ころ、雅樹車を運転して東関東自動車道上り線の走行車線上を進行し、千葉県香取郡大栄町吉岡五〇七番地一先に差しかかつた際、永井車が右走行車線上に停止していたため、同車を避けるためにハンドルを右に切つて追越車線上に車線変更し、これをかわした後、更にハンドルを左に切つたところ、雅樹車は、走行車線を斜めに横切り、路肩部分を越えたうえ、道路左側の法面に乗り上げた後、路肩部分に停止していた川上昇(以下「川上」という。)運転の大型貨物自動車(水戸一一さ六八二六、以下「川上車」という。)及び加藤房司(以下「加藤」という。)運転の大型貨物自動車(水戸一一さ六二一七、以下「加藤車」という。)に順次衝突し、雅樹は死亡した(争いのない事実、乙一、二)。
2 被告らの責任原因
(一) 被告永井の責任原因(運行供用者責任)
被告永井は、永井車の保有者であり、自己のために自動車を運行の用に供していた者であるから、同被告には自賠法三条に基づく損害賠償責任がある。(甲二、乙八、なお、原告らは、被告永井には、永井車の運転者として、高速道路の走行車線上を塞ぐ形で斜めに永井車を停止させ、警告措置を一切とつていなかつた過失があり、民法七〇九条に基づく損害賠償責任もあると主張するが、原告ら主張の損害はいわゆる人身損害に限られ、運行供用者責任が認められる以上、同条に基づく損害賠償責任の有無を判断する必要はない。)
(二) 被告会社の責任原因
被告会社は、被告永井との間において、永井車につき、同被告を被保険者とし、本件交通事故発生日を保険期間内とする対人賠償額無制限の自家用自動車保険を締結していた保険者である。右保険契約では、被保険者と被害者との間で被保険者の負担する法律上の損害賠償責任の額が判決等によつて確定したとき、被害者は保険者に対し直接請求できる旨が定められている(争いのない事実)。
3 相続
原告陽子は雅樹の妻であり、同麻祐子及び同志帆は雅樹と原告陽子との間の子である。原告らは、法定相続分に従い、原告陽子が二分の一、並びに同麻祐子及び同志帆が各四分の一の割合で、雅樹が本件事故により被つた損害につき、損害賠償請求権を相続した(弁論の全趣旨)。
4 損害の填補
原告らは、本件事故に関し、自賠責保険から合計二〇〇〇万円の支払を受け、法定相続分に従つて右金員を受領した(争いのない事実)。
二 争点
事故態様(過失相殺)及び損害額である。
1 事故態様(被告永井と雅樹の過失割合)
(一) 原告ら
被告永井には、永井車の運転者として、高速道路の走行車線上を塞ぐ形で斜めに永井車を停止させていたことに加え、本件事故現場がゆるい上り坂の続く右カーブで付近に街路灯もなく、それほど車高の高くない永井車に対する後続車からの見通しが悪い状況にあつたほか、本件事故が発生した時間帯が真夜中であるうえ、永井車を斜めに停止させていたために後部反射光が得られず、後続車から永井車を発見するのは困難な状況にありながら、道路交通法上義務づけられた停止表示器材、非常点滅表示灯等による後続車に対する警告措置をとる十分な時間的余裕があり、かつ、容易にとり得たのにもかかわらず、右警告措置を全く怠り、永井車を放置し、長時間にわたり永井車から離れていた重大な過失がある。
本件事故についての雅樹の過失割合は五〇パーセントとするのが相当である。
(二) 被告ら
右主張は争う。
本件事故現場付近の道路は、上下各二車線で、中央には中央分離帯が設置されており、平坦なアスフアルト舗装で、前後の見通しはよく、本件事故当時路面は乾燥していた。本件事故の態様は、永井車が前方を進行中であつた川上車に追突した事故(以下「先行事故」という。)によつて走行車線上で路肩にややまたがる形で斜めに停止していたところ、本件事故現場に差しかかつた雅樹車が永井車を避けようとして運転を誤り、先行事故のため永井車の前方の路肩に停止していた川上車に衝突したものである。永井車の停止位置は、後続車の通行を遮るものではなく、適正な運転状態にある後続車が衝突を容易に回避しつつ安全に通行できる余地は十分に存在していた。また、本件現場付近は、直線であり、後続車の見通しを遮るものはない状態であつたほか、路面が乾燥しており、前照灯の光が反射して見えにくいという状況にもなく、永井車は前照灯により一番発見しやすい白色であつたから、後続車としては、安全な回避措置をとるに十分な余裕をもつて永井車を発見できたはずである。本件事故当時の雅樹車の進行状況及び衝突後の損傷状況等からすると、本件事故の原因は、雅樹の著しい前方不注視及び著しい速度違反にある。
他方、永井車は、前部が大破しており、自力移動が不可能であつたことが窺われるほか、被告永井は、追突事故のために暫く意識を失つていたため、走行車線上からの退避は不可能な状況にあつた。また、被告永井は、意識を取り戻した後、直ちに川上らのもとに行き、発煙筒の準備に取りかかつていたのであるから、停止表示等の不設置は、同被告の過失の根拠とはなり得ない。
本件事故による損害賠償額を算定するにおいては、大幅な過失相殺がなされるべきである。
2 損害額
(一) 原告ら
(1) 逸失利益 三億三〇〇三万三六〇〇円
雅樹は、本件事故当時、満四六歳の健康な男子であり、河井真珠株式会社(以下「河井真珠」という。)の代表取締役として月額三〇〇万円の給料を受けており、本件事故によつて死亡しなければ、満六七歳まで二一年間就労可能であつた。雅樹の逸失利益の現価は、生活費控除を三五パーセントとし、新ホフマン式で法定利率による中間利息を控除すると、前記の金額となる。
(2) 慰謝料 二四〇〇万円
雅樹は、死亡当時満四六歳という働き盛りにあり、原告らの夫又は父親として一家の支柱となつていた。
(二) 被告ら
右事実は知らない。
雅樹は、河井真珠のいわゆるオーナー社長であるとみられるところ、その逸失利益算定に当たつては、雅樹の確定申告上の収入金額をそのまま基礎収入額とするのではなく、右会社の営業状態のほか、相続人である原告らが雅樹から相続した株式の利益配当分を斟酌すべきである。また、雅樹の相続人である原告陽子は、雅樹の死亡を契機として新たに右会社の代表者に就任したが、会社の実務に全く不慣れであつたにもかかわらず、雅樹の死亡後も河井真珠が収益をあげていることからすると、同原告が河井真珠から受けている収入の大部分は、雅樹のもとで確立していた河井真珠の人的物的な体制によつて得られる収益を雅樹から受け継いだものであり、この限度で実質的には雅樹の死亡による逸失利益が生じていないというべきであるから、このような事情を逸失利益の算定に当たつて考慮すべきである。さらに、雅樹の収入は、月額三〇〇万円と高額であつたから、右金額から所得税相当分を控除すべきである。
第三争点に対する判断
一 事故態様(過失相殺)
1 証拠(甲一ないし三、乙一ないし一〇)及び前記争いのない事実等によれば、次の事実が認められ(ただし、乙八、一〇の記載部分のうち、この認定に反する部分は措信しない。)、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 本件事故現場は、上下各二車線の東関東自動車道上り線(湾岸市川起点)五三・一キロポスト付近であり、ガードロープが設置されている中央分離帯によつて上下線が分離されている。上り線の全幅員は約一〇・九メートルで、追越し車線の幅員が約三・六メートル、走行車線の幅員が約三・七メートル、路肩部分の幅員が約二・九メートルであり、更に道路の左側端には幅〇・八メートルの側溝がある。道路左側は、コンクリート製の法面であり、その角度は約六〇度である。本件事故現場付近の車道はアスフアルト舗装の平坦な道路であり、見通しは前後とも良好であり、見通しを妨げる障害物はなく、夜間でなければ約三〇〇メートルから四〇〇メートルまで見通すことが可能であつた。
本件事故当時、道路標識による交通規制はなく(普通乗用車の法定の最高速度は時速一〇〇キロメートルである。)、交通閑散の状態であつた。本件事故現場付近に街灯等の設置はなく暗かつた。本件事故当時の天候は曇りであり、路面は乾燥していた。
(二) 被告永井は、永井車(マツダルーチエ、白色)を運転し、本件事故現場付近の走行車線上を大栄インターチエンジ方面から成田インターチエンジ方面に向かい時速約一二〇キロメートルで進行していたが、佐原インターチエンジ付近で急に眠くなつてきたにもかかわらず、我慢しながら運転していた。被告永井は、平成二年一〇月一〇日午前三時三五分ころ、東関東自動車道上り線五三・三キロポスト付近に至つて、急に眠くなつて居眠りをし、目を覚まして前をみたところ、自車の約六・八メートル前の走行車線上を時速約六〇キロメートルで進行していた川上車を発見し、驚いて急ブレーキをかけたが間に合わず、川上車の後部バンパー付近に永井車の前部を追突させた。永井車は、前部が大破し、前部を大栄インターチエンジ方面に向け、別紙交通事故現場見取図(以下「別紙見取図」という。)記載のとおり、走行車線を塞ぐように斜めの状態で停止した。被告永井は、右追突の衝撃で頭部を打撲して気を失つた。
川上は、同僚の加藤と二台のダンプカーで、千葉県八千代市の現場に山砂を運搬する途中であつたが、永井車に追突されたため、別紙見取図記載のとおり、加藤車の後方につける形で道路左側の路肩部分に川上車を停止させ、加藤とともに警察官が現場に到着するのを待つていた。
被告永井は、意識が回復し、成田インターチエンジ方面を見ると、永井車から一〇〇メートル以上離れた路肩部分のところに加藤車と川上車が停止し、川上車の後ろに川上が立つているのを認め、そこまで駆け寄つて行つた。川上は、被告永井に川上車の破損箇所を確認させ、加藤とともに三人で修理代等について話しをしていたところ、永井車の尾灯がだんだん消えるように薄くなつていき消えたため、加藤がポケツトに持つていた発煙筒を被告永井に手渡し、同被告が発煙筒を持つて永井車の方に行こうとした直後、「ゴー」というものすごいエンジン音とともに雅樹車が進行してきて、本件事故が発生した。
なお、永井が川上車に追突してから本件事故が発生するまでの間の時間は約一〇分間であり、その間タクシー、貨物車、ダンプカー各一台が本件事故現場を通過していつた。
(三) 雅樹は、雅樹車(メルセデスベンツ、乗車定員二名)を運転し、東関東自動車道を大栄インターチエンジ方面から成田インターチエンジ方面に向かい走行車線上を進行し、平成二年一〇月一〇日午前三時四五分ころ、本件事故現場にさしかかつた際、ハンドルを右に切つて永井車をかわし、別紙見取図記載<3>地点付近から<4>の地点付近まで追越し車線を進行したが、更にハンドルを左に切つたため、雅樹車は、同見取図記載<4>の地点付近から路肩方向へ暴走し、同見取図<5>の地点付近から道路左側の法面に乗り上がつて、そのまま法面上を前部を法面の上の方に向けて横滑りしたまま走行し、川上車の左側フエンダー部分等に衝突した後、加藤車の左後部に激突して真っ二つになり、別紙見取図記載<6>の地点に後部、同見取図記載<7>の地点に前部が停止した。雅樹は、別紙見取図記載アの地点に横臥の姿勢で倒れており、頭蓋骨が粉砕し、脳髄は一部消滅している状態で死亡していた。
(四) 本件事故現場の路面には、別紙見取図記載のとおり、追越し車線から路肩にかけてそれぞれ四〇・一メートル、三四・五メートル、三〇・五メートルの三条の横滑りのタイヤ痕、走行車線上に二条の平行するタイヤ痕及びこのタイヤ痕の中央付近に一条の擦過痕、並びにコンクリート製の法面にはそれぞれ二・二メートル、二三・八メートル、二・九メートルの三条の擦過痕が印象されていた。
(五) 雅樹車は、屋根がなく(布製でトランクの上に折り重ねた形でまとまつていた。)、車体が大破し、前部と後部とが座席後方付近から前後に引きちぎられた形で切断されており、車体前部は前部ボンネツト及び左側面フエンダーが凹損し、車体後部はトランクが原形をとどめない程凹損していたほか、運転席の座席シートが脱落し、運転席側のドアーガラスはなくなるなどしていた。なお、前照灯のロービームとハイビームの切替えスイツチは手前に引かれている状態であつた。
加藤車は、左サイドバンパーが後部側から前部側へ一二〇センチメートルにわたつて凹損し、その内側のガソリンタンクも凹損して給油口の蓋がはずれており、左後輪フエンダー後方側四〇センチメートルの位置が曲損し、前方側へ一三〇センチメートルの位置まで歪んでいたほか、後部荷台あおりに左端から右側八〇センチメートルにわたつて血痕及び細かい肉片が放射線状に広がるように付着し、工具入れボツクスは左端から三二センチメートルの位置まで凹損し、その下方の後部バンパーは左端が前方側へ斜めに押し込まれるように凹損していた。また、左後部尾灯及び方向指示器並びに後部ナンバプレートが破損し脱落するなどしていた。
2 右認定の事実によれば、被告永井は永井車を夜間照明設備のない東関東自動車道上り線の走行車線上を塞ぐ形で斜めに停止させたが、その原因は、被告永井が急に眠くなつてきたにもかかわらず、そのまま我慢しながら運転を続けた結果としての居眠り運転による先行車である川上車への追突であつた。また、被告永井は、先行事故の衝撃によつていつたん気を失つていたものの、その時間はそれほど長いものではなく、意識を取り戻してから、一〇〇メートル以上も離れた川上車の停止位置まで駆け寄つていき、加藤から発煙筒を渡されるまでの間、川上車の破損箇所を確認したり、川上及び加藤と修理代金等に関する話をしていたのであるから、本件事故発生までに、永井車に備えつけられている発煙筒をたいたり、三角表示板等の停止表示器材を設置するなど後続車に対する警告措置をとる時間的な余裕は十分あつたといわざるを得ない。ところが、被告永井は、永井車を夜間照明設備のない高速道路の走行車線上を塞ぐ形で斜めに停止させており、このような状態は後続車の衝突を誘発するおそれが極めて大きい危険なものであつたことが明らかであるにもかかわらず、このような危険に対する配慮を欠き、永井車から離れ、約一〇分間にわたり、永井車を走行車線上に停止させたままにし、発煙筒をたいたり、三角板等の法定の夜間停止表示器材を設置するなどの警告措置を一切とらなかつたのであるから、本件事故発生の原因となる被告永井の右過失は大きいといわねばならない。なお、被告らは、永井車の前部が大破しており、自力移動が不可能であつたし、被告永井が、追突事故のために暫く意識を失つていたため、走行車線上からの退避は不可能な状況にあつたと主張するが、このような事情を窺わせる事実を認めるに足りる証拠はなく、右主張は理由がない。また、被告らは、被告永井が、意識を取り戻した後、直ちに川上らのもとに行き、発煙筒の準備に取りかかつていたのであるから、停止表示等の不設置は、同被告の過失の根拠とはなり得ないと主張するが、前認定の事実からすれば、被告永井が意識を回復してから本件事故が発生するまでの間に、発煙筒をたいたり、停止表示板を設置するなどの警告措置をとる時間的余裕は十分にあつたといえ、この主張も理由がない。
しかし、他方、雅樹車の走行態様、路面及び法面に印象されたタイヤ痕及び擦過痕並びに同車及び加藤車の破損状況に鑑みると、雅樹車は法定の最高速度である時速一〇〇キロメートルをはるかに超える高速度で進行していたと推認せざるを得ない。また、<1>本件事故現場付近は直線道路であり、見通しをさえぎる障害物は一切なかつたこと、<2>永井車が走行車線を塞ぐ形で停止していたものの、追越し車線に進路変更して永井車を避ける余地は十分に残されていたこと、<3>現に、永井車が走行車線上に停止してから本件事故が発生するまでの間、タクシー、貨物車、ダンプカー各一台が永井車との衝突を回避して本件事故現場を無事に通過していつたことからすると、本件事故当時、夜間で照明がなく、本件事故現場付近が暗かつたとしても、雅樹に著しい速度違反がなく、前方を十分に注視していたならば、雅樹が、白色である永井車を前方に発見し、これを適切に避けて本件事故現場を通過して行くことは十分可能であつたというべきである。そうすると、本件事故発生の主たる原因は、雅樹の著しい速度違反又は前方不注視にあつたというべきであり、雅樹の過失は重大であつたといわなければならない。なお、原告らは、被告永井の過失が重大である理由として、永井車に対する後続車からの見通しが悪かつたのに、警告措置を全くとつていなかつた点等を強調するが、かえつて見通しが悪い場合には、法定の最高速度を遵守し、前方の安全を確認しながら慎重に運転すべきであつたといえ、一方的に被告永井を非難することはできないというべきである。
これらの事情を総合考慮すると、被告永井と雅樹との過失割合は、前者が三割、後者が七割であると認めるのが相当である。
二 損害額
1 逸失利益 一億八〇〇〇万八二四四円
(一) 証拠(甲三、四の1ないし3、五ないし一五、一六の1ないし3、一七の1、2、原告陽子)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
雅樹(昭和一八年一二月二日生)は、本件事故当時、満四六歳の健康な男子であり、同人の実家の家業である個人会社・河井真珠に勤務していたが、同人が昭和五五年七月一日に販売のために設立した、真珠・宝石・貴金属等装飾品及び時計・眼鏡の卸売、販売、輸出入、製造、加工並びに養殖、飲食店の経営等を目的とする河井真珠(資本金三〇〇〇万円、従集員約二〇名)の代表取締役社長として、真珠の仕入れ及び取引についての最終決定権を有し、経理についても資金の問題を全てみるほか、その業務のうち、真珠の仕入れについては、一一月から二月の間に愛媛、長崎、伊勢等に行つて一年分の真珠の買い付けをするといつた重要な商談などを担当していたほか、加工については、加工処理に必要な薬品の研究を行い、販売については、重要な顧客を抑えるために接触を取つたり、取引グループの集まる場所に出掛るなど(日常業務、取引における顧客との具体的折衝などは営業担当者が行つていた。)していた。また、雅樹は、同社の発行済株式六万株全てを所有していた。雅樹は、河井真珠から給与として、昭和六二年度には年額二一七八万円、昭和六三年度には年額二九二五万円、平成元年度及び平成二年度には月額三〇〇万円の支給を受けていたほか、平成元年度には一〇〇〇万円の利益配当を受けたが、昭和六二年度、昭和六三年度には利益配当を受けていなかつた。
雅樹死亡前後の河井真珠の決算状況は、<1>昭和六二年一〇月一日から昭和六三年九月三〇日までの事業年度には、純売上高が二〇億五〇六八万八六八四円、売上総利益が三億〇七八八万五六二一円、営業利益が七九〇五万四五四六円、経常利益が二九三七万七三〇二円、<2>同年一〇月一日から平成元年九月三〇日までの事業年度には、純売上高が二三億八四二六万三〇四九円、売上総利益が三億二八一二万六九五〇円、営業利益が四二八一万五五三〇円、経常損失が八三一万七八九一円、<3>同年一〇月一日から平成二年九月三〇日までの事業年度には、純売上高が二七億二七三六万九六八三円、売上総利益が三億六五二四万六六〇六円、営業利益が一億〇一二〇万〇一七二円、経常利益が一一六四万一五六九円、<4>同年一〇月一日から平成三年九月三〇日までの事業年度には、純売上高が二七億〇八九五万九六一八円、売上総利益が三億五三二六万三一八〇円、営業利益が一億一四一八万〇五八五円、経常利益が一四五一万三七一〇円であり、雅樹死亡後も、会社の業績はほぼ一定している。
原告陽子は、雅樹の死亡後、河井真珠の代表取締役社長の地位を引き継ぎ、平成五年七月二日まで社長の地位にあり、給与として月額二五〇万円の支給を受け、その後は会長に就任し、同年八月以降は給与として月額一七〇万円の支給を受けている。原告陽子は、社長に就任するとともに、一つ一つ勉強しながら雅樹の職務をほとんど引き継ぎ、仕事がうまくいかないこともあつたが、河井真珠が卸業であり、卸先の顧客がほとんど確定していたため、雅樹の死亡後も総売上はそれほど変化しなかつた。原告陽子が社長を退任するとともに、雅樹の弟であり歯科医師であつた河井眞(以下「眞」という。)が代表取締役に就任し、給与として月額一五〇万円の支給を受けている。眞の職務内容もほとんど雅樹と同じであつた。原告陽子は、眞が社長に就任するに際し、同人に対し、雅樹から相続した河井真珠の発行済株式総数の二分の一の株式を四五〇〇万円で売却した。河井真珠には、原告陽子及び眞を除く四名の取締役がおり、専務取締役である渡辺明の給与は年額一〇〇〇万円程度であるが、その他の取締役は雅樹の実家の個人会社の者であり、河井真珠からは給与が支給されていない。
(二) 右認定の事実によれば、以下のとおり考えることができる。
雅樹の死亡前後を通じた河井真珠の決算状況、河井真珠の株式保有状況、雅樹、原告陽子及び眞の職務内容及び収入額、専務取締役の収入額といつた事情に加え、雅樹の死亡後、業務に不慣れであつた原告陽子が社長に就任し、特に河井真珠の人的構成の変動があつたとは認められないにもかかかわらず、河井真珠が卸業であり、卸先の顧客がほとんど確定していたといつた理由等から、原告陽子の社長就任直後の決算期においても会社の業績にほとんど変動がなかつたこと、雅樹の収入額が昭和六二年度から平成元年度にかけて順次増加しているが、平成二年度を含めて一度も減少していないことなど、諸般の事情を総合考慮すると、雅樹の逸失利益の算定において、同人の平成二年度における収入月額三〇〇万円を基礎とし、雅樹の職務内容が河井真珠の業務全般に及ぶ相当幅広いものであつたことは認められるものの、右収入月額に占める同人の労務対価部分の割合をその六割である一八〇万円とするのが相当である。
そうすると、雅樹は、本件事故に遇わなければ、満六七歳までの二一年間にわたり稼働可能であるところ、右全期間について生活費として収入の三割五分を必要とすることは、原告らが自認しているから、以上を基礎として、ライプニツツ方式によつて中間利息を控除して、本件事故当時の雅樹の逸失利益の現価を計算すると、次の算定式のとおり、一億八〇〇〇万八二四四円となる。
(計算式)一八〇万円×一二か月×(一-〇・三五)×一二・八二一一=一億八〇〇〇万八二四四円
なお、被告らは、雅樹の収入が高額であつたから、所得税相当分を控除すべきであると主張するが、納税額の決定等は専ら立法政策上の被害者と納税権者との関係にとどまり、加害者とは無関係の事柄であり、加害者が損害賠償法の根本理念である原状の回復の観点から被害者の収入全額を賠償したのち、被害者ないしその遺族が取得した損害賠償金に対して課税がなされるか否かも、立法政策上の被害者と納税権者との関係にとどまり、加害者の損害賠償額とは別個の事項というべきであるから、現行法において損害賠償金に対し、課税がされていないこと(所得税法九条一項一六号)から、損害賠償額の算定に当たつて収入額から税額を控除すべきとはいえないものというべきである。
2 慰謝料 二二〇〇万円
雅樹が本件事故によつて死亡したことにより精神的苦痛を被つたことが認められるところ、本件事故の態様、雅樹が一家の支柱であつたこと等本件に顕れた一切の事情を考慮すると、本件事故により雅樹が被つた精神的苦痛に対する慰謝料は、二二〇〇万円と認めるのが相当である。
3 雅樹の損害合計額は二億〇二〇〇万八二四四円となり、これに七割の過失相殺を行うと、同人の損害額は六〇六〇万二四七三円(円未満切り捨て。以下同じ。)となるところ、原告らは、これを法定相続分に従い、原告陽子が二分の一、同麻祐子及び同志帆が各四分の一あて相続したので、原告陽子の損害額は三〇三〇万一二三六円、同麻祐子及び同志帆の損害額は各一五一五万〇六一八円となる。そして、前記のとおり、原告らは、本件事故に関し、自賠責保険から合計二〇〇〇万円の支払を受け、これを法定相続分に従つて受領しているのであるから、これを右原告らの損害額から控除すると、原告陽子の損害残額は二〇三〇万一二三六円、同麻祐子及び同志帆の損害残額は各一〇一五万〇六一八円となる。
三 結論
以上によれば、原告らの被告永井に対する本件請求は、原告陽子について二〇三〇万一二三六円、同麻祐子及び同志帆について各一〇一五万〇六一八円及びこれらに対する本件事故の後の日である平成五年一〇月一七日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、原告らの被告会社に対する本件請求は、被告永井に対する判決の確定を条件として、原告陽子について二〇三〇万一二三六円、同麻祐子及び同志帆について各一〇一五万〇六一八円及びこれらに対する右判決確定の日の翌日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、それぞれ理由があるから、これを正当として認容し、その余は理由がないのでいずれも失当として棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 南敏文 生野考司 湯川浩昭)
〔別紙 略〕